コラム

IT製品との終わりなき戦い

2ヶ月ほど前にipad2を買った。嬉しかったことは間違いないが、無条件でそうかというと、そこのところは微妙である。忌々しいという感情がかなりの程度まじっているのである。強いて言えば、うれしさが3分の2、忌々しさが3分の1。IT製品を買うたびに毎度…

繰り上げ法要(追記あり)

新聞の告別式の広告を見ているいると、繰り上げ法要が目立ってふえているような気がする。いつからそうなのかは知らないが、ぼくがこのことに気付いたのは3,4ヶ月ほど前である。(数年前のエントリーでも繰り上げ法要のことを取り上げたことがあるが、数…

「この雰囲気がたまらないんだよ」

今ではだいぶ様相がちがっているいるだろうが、復帰前の沖縄の選挙は相当に過熱したものがあった。とくに郡部においてはそうで、部落はひとつにかたまり、選挙中はよそ者の侵入をゆるさないという空気であった。 このような現象は、沖縄にかぎったことではな…

 可憐な町と可憐な欲望

トンネルが開通して、それまで集落の中を走っていた国道58号が山寄りに移動したために、郷里の行き帰りに、辺土名の集落を通ることはなくなった。 10年ほど前、郷里でキャンプをしたときに、買い出しの必要があって、辺土名の食品スーパーに車を走らせた…

やんばるの道の変遷

やんばる(山原)をドライブしていると、ところどころに旧道を目にする。ほとんどが山裾の凹んだ場所にあって(与那トンネルのある場所のように例外ももちろんある)、かつての海岸線に沿って立地している。旧道は今でも轍がくっきりと残り、雑草が生い茂っ…

 小さな差異に見出す「幸せ」

ご多分にもれず、子どものころの主食はイモ(芋)であった。学校に持っていく弁当もイモであった。そのことに格別の不満はなかった。 イモにもいろいろな品種があった。記憶にある品種名をぼくの郷里の方言名であげると、「イナヨー」、「スーヤムン(白いも…

ある碁キチのこと

近所のわりと親しくしている人が、家の外に椅子をもち出して往来をながめていた。息子さんが隣に立っていたから、彼に身体を支えられて出てきたのであろう。 その人は無類の碁好きで、何度も対局したことがある。お互い誘い合わせて囲碁の大会に出たこともあ…

胡瓜のこと

NHKのテレビ番組「鶴瓶の家族に乾杯」を観ていたら、ハウスの中で、笑福亭鶴瓶が胡瓜をもぎとり、上着の裾で棘のある表面を拭きとってから、ガブリと旨そうに囓るシーンがあった。 この場面を観ていて、遠い記憶がよみがえってきた。 いつごろまでそうで…

散歩中のこと

散歩中のこと。 ぼくの家は、勾配がかなり急な坂道の近くにある。昨日の日曜日、その坂道を下りていると、50歳代の男性とすれちがった。 すれちがうとき、その男性が「きー ちきてぃ うりみそーりよ(気をつけてお下りなさいよ)」と声をかけて通り過ぎて…

  人生の「残り時間」ということ――「宮古島の英語人間」補遺

●額田勲氏の発言 前立腺がんに見舞われ、放射線治療という過酷な治療を選択した医師で、多くの著書のある額田勲氏が、ある対話の中でこのように発言している。 「第二の人生とは、生と死のせめぎ合いばかりかというとそんなことだけではない。がんということ…

 喫煙室あります

南風原町の、かなり知られた沖縄料理の店に入った。地元の人にも観光客にも人気の店だ。(心当たりのある方はたずねてみてください。以下に述べるような光景を目撃するはずです) 昼食時間に近いせいか店は混み合っていた。 タイミングよく椅子席が一つ空い…

 宮古島の英語人間。

3月の連休を宮古島に行ってきた。 友人から家を新築したのでぜひたずねてくるようにという誘いがあったからだが、 それは表向きの理由。 久しぶりに酒を飲みたかったのである。 飛行機に乗って酒を飲みにいったのである。 まことに豪勢なはなしだ。 友人は…

とんがった精神風景

定期検診で行った病院の待合室で印象深い体験をしたので、そのことについて書く。 その日の待合室はいつになく閑散としていた。インフルエンザのせいだろうか。 病院スタッフは全員、患者さんはチラホラとマスクをしていた。 受付をすませて、ぼくは2列目の…

 不純な向上心

最近はご無沙汰しているが、10年ほど前まではよく碁会所に通った。 そのときに経験したことである。 若い人なら自分より強い人と打って腕をあげたいと思うのが普通だが、 お年寄りのなかには上手の人とは打ちたがらない人が少なくない。 根を詰めて考える…

ビジネスの語法

郷友会の集まりに参加したときのこと。 ある会員が両親がともに亡くなったということで、郷友会を脱会したという報告があった。 それを聞いていた会員の一人が、「この組織も展望がないなー」と言うのが聞こえた。 一瞬だが白らけた空気が流れた。 言った本…

 市販のシーミー料理

連休の最終日にあたる六日、わが家のシーミー(清明祭)をおこなった。 料理は近くのスーパーに注文して造ってもらった。 こんなことは初めてである。 例年だと、栄町の市場で材料を買ってきて、妻が娘たちに手伝わせて、前夜から準備するのだが、今年は事情…

金武町のマチュピチュ

連休後半の3、4、5日の3日間を、ぼくたち夫婦と娘母子の6人で北部に行った。 北部といっても金武町。はじめは宜野座村を予定していたのだが、4月の末に電話で問い合わせると、どの宿泊施設もすでに満室。いつも行きあたりばったりだからこうなる。 や…

 陽光の下の事故は……

所沢に行くも、事故で通行止めになり、なっつとマナチンコと共に、二時間近く閉じこめられる。行きも、帰りも、つ、つらかった。 行きも帰りも、トラックと乗用車の事故だった。ここはシチリアか? でもシチリアだったら耐えられるけど。ああ! 耐えられる日…

 隙間が存在する

「本は売れなければ紙くず同然」という言葉がある。 間然するところのない言葉である。 身も蓋もないこのような割り切った価値観は強力無比といえる。 なぜ強力無比かというと、資本主義の原理と隙間なく一致しているからだ。 時代を問わずに言えることだが…