可憐な町と可憐な欲望


 トンネルが開通して、それまで集落の中を走っていた国道58号が山寄りに移動したために、郷里の行き帰りに、辺土名の集落を通ることはなくなった。
 10年ほど前、郷里でキャンプをしたときに、買い出しの必要があって、辺土名の食品スーパーに車を走らせたことがあるが、ここ数10年で、辺土名の集落に入ったのはその時を含めて数えるほどしかない。
 国道の移動とは関係なく、交通手段として自家用車が普通のことになってからは、国頭地域の人々にって、辺土名は買い物の場としては中心地ではなくなった。身体感覚としては、辺土名よりも遠方の名護のほうが身近になったといってよい。
 名護には大型スーパーがあり、書店があり、ゲームセンターやパチンコ店がある。100円ショップだってある。ふだんは農業や林業に従事している人といえども、半身は「消費者」だから、モノが豊富にある名護でいろいろと買い物をするのである。何を今更という人がいるかも知れないが、このように消費を享受できるほどに、生活レベルが向上したということは、言祝ぐべきである。


 子どものころぼくたちは、およそ七キロほどの距離を、徒歩で1時間以上もかけて、辺土名に出かけた。釣り道具や鳥かごを作るための錐や小刀、タナガー(川エビ)を獲る網などを買うためである。
 国頭地域のそれぞれの集落には共同売店があったが、日常の必需品しか扱っていなかったため、文房具店、釣具屋、金物屋、映画館、食堂などがある辺土名は、まさに「都会」であった。けれども当時のぼくたちは、辺土名で「お上りさん」をしても、目的のものを買う金しか所持していず、無駄遣いとも衝動買いとも無縁であった。当時の辺土名の町の規模は、ぼくたちの欲望と釣り合っていたといえる。辺土名の町も可憐であったが、ぼくたちの欲望も可憐であった。