宮古島の英語人間。


3月の連休を宮古島に行ってきた。
友人から家を新築したのでぜひたずねてくるようにという誘いがあったからだが、
それは表向きの理由。
久しぶりに酒を飲みたかったのである。
飛行機に乗って酒を飲みにいったのである。
まことに豪勢なはなしだ。
友人はあいかわらず浮世離れしていて、
わがままも直っていないようだ。嬉しいかぎりである。


おどろいたことに新居に玄関がなかった。
4枚の雨戸が取り付けられ、庭との間に奥行き半間ほどの濡れ縁があって、家の人も来客もそこから出入りしている。
最初はそのことで落ち着かない感じがしたが、すぐに慣れた。
考えてみれば、ぼくの子どものころは、どの家にも玄関などというものはなかった。
那覇でもめったに見なかったし、ましてやぼくの田舎に玄関のある家は一軒もなかった。
友人はなんとも時代逆行的な家造りをしたものである。


翌日は奥さんの運転で、砂山ビーチに行き、池間島を一周した。
海産物を食べさせるところはないかと漁港の周辺をうろついたが、
日曜日のせいか開いている食堂はみつからなかった。
予定を変更して平良市内のレストランへ。
そのあと家に帰って、爆睡。


1時間半ほどして目を覚ますと、友人はテキストを片手にCDを聞いていた。
じつはこの家に着いてすぐに、ぼくは家の中がふつうでないこと気付いた。
居間や床の間のいたるところに、英語の本やCDがちらばっているのだ。
CDプレイヤーらしきものが2つ。
高窓の出っ張りの部分には化学英語と化学の本がずらり。その中には6.7センチはあろかという化学英語の辞典が2冊。
書斎はもちろん寝室も似たような状態なのではないか。
話には聞いていたが、これほど英語に打ち込んでいるとは思いもしなかった。
恐るべし73歳、である。
学生のころから英語が好きであったということはこれまでの付き合いの中で、話のはしばしから知れたが、65歳を過ぎたころから本格的に英語学習を再開したようだ。
海外の人ともメールのやりとりもしているという。


よしもとばななが父・吉本隆明について書いた文章を思い出した。こんな文章である。
「実家へ。父がそうとう疲れているのがわかり、気の毒に思う。もう、締め切りのある仕事はやめたほうがいいのではないかな、と思った。
でも人生の終わりをきれいにまとめたいみたいな感じが全然ないのは、いいことのような気がする。自分がまだそこに至ってないのでわからないが、まあ、だれにとっても他人のための人生ではないし、とりつくろってもしかたないし。」