不純な向上心


最近はご無沙汰しているが、10年ほど前まではよく碁会所に通った。
そのときに経験したことである。
若い人なら自分より強い人と打って腕をあげたいと思うのが普通だが、
お年寄りのなかには上手の人とは打ちたがらない人が少なくない。
根を詰めて考えるということが億劫なのである。
じっさい手を読むということはけっこう神経が疲れる作業である。
おまけに上手と打つと、どんな手が飛び出してくるか分からないから油断ならない。
それで下手いじめに走るか、気の合う人があらわれるまで待って、その人とのみ打つということになる。
そんな中で一人、分け隔てなく誰とでも打つお年寄りがいた。
手があいている人がいると誰にでも声をかけた。
碁歴は三〇年近いということであったが、実力は三級か四級くらいではなかったか。
おどろくべき進歩のなさである。
さりながら、その人の碁にむかう姿を見ていると、
人間の自然性に反する見方かも知れないが、
強くなりたいとか腕をあげたいという向上心は「不純」なものに思えてくるのであった。