金武町のマチュピチュ


連休後半の3、4、5日の3日間を、ぼくたち夫婦と娘母子の6人で北部に行った。
北部といっても金武町。はじめは宜野座村を予定していたのだが、4月の末に電話で問い合わせると、どの宿泊施設もすでに満室。いつも行きあたりばったりだからこうなる。
やむなく金武町に予定変更して、インターネットで探し出した宿泊施設に電話すると、1発目でOK。
300人収容可能で大風呂もあり、ネットで見たかぎり食堂のメニューもなかなかのものである。
場所は高速の金武インターから車で10分ほどの距離にある。


3日は12時過ぎに家を出て、30分もしないうちに金武着。
チェックインまで時間があったので、億首川のマングローブ林や金武の鍾乳洞などを見学した。ぼくたちの場合、事前に調べてスケジュールをたてるということをほとんどしない。へたするとホテルなり民宿なりに備えつけのパンフをみて、行き先を決める場合だってある。今回もそうだ。


適当な時間がきたので宿泊先へ向かった。国道を那覇向けに車を走らせると、目指す宿泊先の看板が道路脇に立っていた。かつては、5メートルほどもある道をまたいで、大きな看板が設置されていたであろうと思わせる鉄骨の残骸が陽にさらされている。
山側に曲がって、5、60メートルほど坂をのぼりきったところで、忽然と出現した光景に、ぼくたちは度肝を抜かれた。
そしてぼくも妻も同時に腹をかかえて笑った。人は予期しない事物に出会うと、大笑いしてしまうものらしい。
後部座席の孫たちはというと、一瞬押し黙った気配がしたが、やがて、「なんだばー、これ(なんなの、これ)」と口々に声をあげ、窓から顔を出した。


巨大な2階建てのプレハブが12棟、どかーん並列しているのだ。
思わぬ場所で思いもよらぬ光景にでくわした驚き。大げさにいえばマチュピチュアンコールワットの遺跡がとびこんできたようなものだ。
背後の山は、赤土が剥き出しで、てっぺんの松の周囲をカラスが5、6羽舞っている。
敷地には人っこ一人いず、車が14、5台停まっているだけ。
12棟のうちの1棟に「レキオスFC」の横看板が掛かっていた。


チェックインの手続きをする前にと、あたりを偵察してまたまた驚いた。正面から見たのは一部分で、12棟の後ろにはさらに横向きに平屋が5棟建っている。1棟は食堂、もう1棟は風呂、そして売店の看板が掛かっている。
驚いたことに、さらにその背後にも2階建てプレハブが12棟立ち並んでいる。
国道からはまったく見えないが、こんなところに誰にも知られず(ぼくたちだけが知らなかったということはないだろうな)巨大プレハブが29棟も建っているシュールさ。


管理人室に行き、チェックインを済ませてから、応対した男性に、いったいこの建物群は何なんですかと尋ねた。ぼくが質問することを予期していたらしく、男性はニヤニヤ笑いをして、沖縄サミットのとき、内地の各地から警備のために派遣された警官の宿泊施設だったところだと答えた。。
あのとき警備陣は、てっきり、ホテルや民宿を借り切ったものとばかり思いこんでいたが、こんなものまで建てていたのか。
敷地内を偵察したとき、売店の看板が場違いな感じがして、中を覗いたらがらんどうであった。それが、古代サミット警備陣がここで日用品を調達した施設だと理解すると、納得である。


インターネットでは、修学旅行や各種の研修施設として最適ということをキャッチフレーズにしていたので、町の施設か第3セクターのようなものだろうと勝手に決めつけていたが、民間の施設だという。
ほくたちがここに宿泊した期間、那覇からやってきた父母を含む3、40人規模の少年サッカーチームが2組、和泊(奄美)からの中学生の野球チームが1組、利用していた。ということは、知る人ぞ知るのスポットなのであろう。
チェックアウトのとき、妻は管理人に、家族で利用したということで、大いに感謝されたらしい。