やんばるの道の変遷


 やんばる(山原)をドライブしていると、ところどころに旧道を目にする。ほとんどが山裾の凹んだ場所にあって(与那トンネルのある場所のように例外ももちろんある)、かつての海岸線に沿って立地している。旧道は今でも轍がくっきりと残り、雑草が生い茂っている。
 名護から奥集落までの道幅は、一号線のころは、四メートルから七.五メートルであったとものの本にある。やんばるで生まれ育ったぼくですら、よくもこんなに狭い道を、幹線道路として利用していたものだと呆れるばかりである。車が対向した場合は、どっちか一方がバックしたり脇に寄せたりして、道をゆずっていた。バス同士が対向したときなどは、車掌が笛を吹いて誘導している場面を何度も目撃した。
 沖縄の道は、宿道→郡道→県道→1号線→国道58号と変遷してきたが、もっとも大きく変貌をとげたのは、国道58号の工事の時だと思う。それまでの道は、やんばるの場合だと、たとえば「名護七曲がり」という名称が象徴するように、山裾をなぞるように曲がりくねった道が走っていた。それが、国道58号が開通してからは、直線道路と呼んでもおかしくはないほど、道幅は拡張され見通しもよくなった。
 58号の工事はもちろん地形や地質を無視はしなかっただろうけれど、旧来のように自然条件に縛られることはなかったにちがいない。テクノロジーの発達は、角切りをしたり橋を架けたりトンネルを掘ったりして、時間と空間を短縮する直線という思想を実現した。便利になったが味気なくもなった。
                                   WA51号 改稿