法事


昨日、仕事がらみの告別式に行ってきた。
焼香の列がつづいている側の壁の
目立った場所の何カ所かに、
貼り紙がしてあった。


初七日(○月○日○曜日)および
四九日(○月○日○曜日)の法事は、
当会館□□の間で執り行います。


本土では葬祭場で法事が催されることがあるということを
聞いたことがあるが、
沖縄でも行われているということをぼくは初めて知った。


家に帰ってそのことを妻に伝えると、
べつに珍しいことではない、という。
なるほど。
これからもっと増えるに違いない。


BK1から今日届いた、
神山睦美著『読む力・考える力のレッスン』(東京書籍)をめくっていると、
次の1節が目にとまった。


人間の生活や、社会のありかたは、より進んだ状態に至るほどに、一種の均質性を帯びざるをえません。進化や進歩が約束されるためには、それらは、決まった形や決まった内容のもと、一定の体系のなかに組み込まれていかなければならない。



日常のレヴェルでも同じことが言える。
仕来りや習俗が簡略化し均質化するのは
時代の趨勢として避けがたい。


生活環境や社会環境の変化ももちろんあるが、
人々の意識においても、
「より進んだ状態に至るほどに」
たとえば、法事のような仕来りは
桎梏と化し、負担感を強いるものとなる。


葬儀ビジネスが隆盛なのも納得できる。


(上に神山睦美の文章を引用したが、神山がこの事態を手放しで肯定しているのではないことを断っておく。)