沖縄の多層的な現実について

「いま想起されるのは、数カ月前私のブログに寄せられたコメントである。沖縄出身の二十代の若者で、県内移設でもいいのではないか、県外移設にこだわる理由がわからない、という趣旨だった。「県内では沖縄全体の負担が減らない」という際の「沖縄全体」とは概念にすぎず、実際の人間が感じる負担とは違う。そうして、人口の密集地から人の少ない北部への移設は「合理的」だと言うのである。
 私はこれを読み、衝撃を受けた。今や沖縄の若者の感性は、「沖縄」とは単なる概念だと割り切るところまできたのか。私は応答を返すのに、かなり苦悩した。それは、「合理性」を掲げて沖縄側から基地を受け入れるこうした声が、彼個人の意見にとどまらず、むしろ県内で多数の声になりつつあるように感じたからだ。」

多田治「時評2007 5月」(琉球新報、2007年5月28日)]



 地元紙でこのような言説に接するのは珍しいことである。
 なにが珍しいかと言うと、自分なりの理路をくぐって基地を受け入れる若者の考え方に、耳を傾ける書き手の存在がである。
 なんだそんなことか、というなかれ。これまでぼくは、沖縄の知識人・文化人が、事故や事件などが起きるたびに、驚いて見せたり、衝撃を受けたそぶりを見せる光景をたびたび目撃してきた。たとえば何年か前に、青山学院高等部の入試に「ひめゆり学徒の証言が退屈」という内容の問題が出題されたという新聞報道があったが、あのときも、関係者や識者やマスコミは、大仰な反応を見せた。
 けれども、関係者や識者の価値軸は微動だにしなかった。それどころか、ひめゆり学徒の語りを退屈とみなす感性に、啓蒙的な対応がなされたり、「教育的指導」が発動されたのであった。
 ぼくに言わせれば、「人口の密集地から人の少ない北部への移設は『合理的』」という考え方は、「ひめゆり学徒の証言が退屈」という考え方とおなじように、「あり」である。多田が衝撃を受けたのも、あの二十代の若者の考え方に一定のリアリティーを認めたからだ、と思う。
「人口の密集地から人の少ない北部への移設は『合理的』」も、「『沖縄』とは単なる概念だ」も、あって不思議ではない考え方である。したがってこのような考え方に権利を与え、肯定的に受け止めるのが、生産的な態度だと思う。
 だが、制度的思考に狎れきった人々は、おのれ考え方とは異質の考え方が出現すると、驚いてみせたり慨嘆したりして、それがあたかも批評であるかのようによそおう。思考放棄もいいところだ。
 基地を受け入れる若者のコメントから受けた多田の衝撃と、あれら識者や傾向的知識人たちのカマトトぶりや偽感情と同一視するつもりはない。
 おしむらくは、多田が、自身が受けた衝撃の内実をこれ以上問うことをしなかったことである。言葉を換えて言えば、多田のブログにコメントを寄せた若者の外部性(衝撃とはこのことを言う)を対象化するのではなく、「この『合理性』が、基地の見返りとしての交付金と連動しているのは当然だ」と、外在化し一般化して、せっかくの「衝撃」を無意味化してしまったのだ。これじゃ、そこいらの左翼と変わりないじゃないか。
 この若者のコメントが表象しているのは、表面的な「考え方」のレベルの問題を超えて、沖縄の全体的な社会像と通底し、社会像の変容とリンクしているということだ。このことはもっと真剣に考えられていい。
 沖縄社会をたんなる抽象としてではなく、実体的な構造にわけいって対象化すると、基地に対する人々の意識や感性の変化を必然化する「現在」の力学が浮かびあがってくる。左翼知識人たちは見て見ぬふりをしているが、基地を受け入れる感性の出現は、「現在」の力学がもたらしたものであり、沖縄の経済社会的な構造に対応していることはまちがいない。
 このように理解してはじめて、すぐ後で検討する、「ウチナー/ヤマト」図式のいかがわしさ、空虚さを、根底から批判することが可能になる。



 多田は、先の引用文のすぐ前で、このように書いている。


「新聞も、これぞとばかり「ウチナー/ヤマト」図式で特集を組む。だが、それでカタルシスを得られても、現実の人々はこの図式より常に多様で複雑である上、メディア・移動・世代などでもこの区別が揺らいでいる面を考えれば、直視すべき複雑で困難な現実を、この図式はむしろ覆い隠すのではないか」


 遠慮したものの言い方をしているが、ズバッと言えば、「ウチナー/ヤマト」図式は、片面的で無時間的な、それゆえに人々が生きている現実とは乖離した観念である。沖縄の左翼知識人に特有のこの思考法は、多田も言うように「直視すべき複雑で困難な現実を、この図式はむしろ覆い隠」している。最近にわかに息を吹き返した感のある反復帰論などは、その最たるものといえる。
 こんなことを言うと、人は「まさか」と驚くかも知れないが、沖縄の左翼知識人の思考法には、「現在」が構造的に欠落している。「現在」とはいうまでもなく高度な消費資本主義社会としての現在である。現在が欠落しているから、高度な消費資本主義社会に対応する大衆概念が媒介されることはない。代わりに何があるかというと、「ウチナー/ヤマト」図式の一方の項をになう、「沖縄人」という単色の記号である。
 誤解をさけるためにいそいで断っておくが、「沖縄人」と沖縄の大衆は実体的には同一である。だが繰り返して言えば、左翼知識人たちのいうところの「沖縄人」は、中立的で指示的な集合名詞ではなく、政治的な含意を帯びた記号である。
 記号としての「沖縄人」とはちがって、大衆は、経済社会的構造からの影響を受け、時代とともに変容する生身の人間である。「ウチナー/ヤマト」図式や「沖縄人」という記号にとうてい収まることのないもの、この図式からはみ出し、はみ出た領域をこそ切実なものとして、日々の暮らしを営んでいる人々を指して大衆と呼ぶ。
「ウチナー/ヤマト」図式には、まちがっても高度消費資本主義社会の大衆というファクターは存在しない。それゆえに片面的で無時間的というのだ。
 日本がそうであるように沖縄も先進資本主義社会にあるから、沖縄の大衆の意識や無意識は地域性や歴史性を刻印されながらも、世界的な同時性の中で変容を遂げてきたし、現在も休みなく生成変化している。
 このような社会においては、必然的に、基地の占める比重も位相も変わらざるをえない。人々の関心やテーマは多様化・細分化して、それとともに大衆の意識や無意識のなかで、基地が部分化し遠隔化するのは避けられない。
 基地をめぐる新しい政治的な課題があるとすれば、このような変動する現実社会を認知することからしかはじまらない。その原理、その可能性は、まだ誰の目にも見えていないが、だからといって、旧来の思考枠組み反復するわけにはいかない。このように考えると、「ウチナー/ヤマト」図式は、権力の現在形、政治の現在的なありようを見えなくさせる観念として、解体されなければならない。
 ここまでくれば、くだんの若者の「『沖縄』とは単なる概念だ」という考え方がすっきりと理解できる。彼が言いたかったのは、沖縄とはたんなる記号ではなく多層的な現実だ、というあっけないほど簡明な認識である。と同時に、昨日までの図式がいつまでも通用すると思うな、というメッセージが聞こえてくるはずだ。