*[禁煙] 27ヶ月目── 「話がちがう」

*[禁煙] 27ヶ月目── 「話がちがう」


 半年ほど前のことだが、ぼくが禁煙していることを知った取引先の人が、「禁煙して5年になるが、いまでも『一本おばけ』が出ることがある」と打ちあけたことがある。思わずぼくは「話がちがう」と、声を出しそうになった。禁煙をはじめて5年経っても「一本おばけ」が出るだって? そんな話、聞いていないぞ、おれは。
「一本おばけ」というのは、禁煙界隈の符丁で、ふーっとおばけのように出現する「たばこをのみたい」という想念のことだ。5年経っても、たばことの関係が完全な過去形とはなっていないという事実は、いささかショックであった。
 もうひとつ、似たような体験を10日ほど前にした。禁煙して5、6年になる友人からきたメールに、自身の状態を「禁煙状態」と表現していたのだ。
「禁煙状態」ということは、禁煙して5年以上経っていても、たばこと完全に縁が切れていないということ、いまだにストレスフルな症状を抜け出せていないということなのであろう。ということはつまり、ぼくの前途も、物によりそう影のように、いつまでもたばこの幻影につきまとわれるということではないか。


 なんとも気持ちの萎える話である。
 けれども、ここまでくればじたばたしても仕方ないと観念するしかない。ぼくもそれ相応に、禁煙世界の辛酸をなめてきたのだ。
 おもうに、禁煙してからこっち、ぼくが経験してきたことは、淡い期待とか無意識の思いこみを、いともあっさりと挫かれ粉砕されることの連続であった。つまり「話がちがう」ことの連続であった。
 禁煙をはじめた当初は、3ヶ月ていど我慢すればいいだろうくらいに安易に考えていた。ハウツー本などに、1週間とか1ヶ月でたばこがやめられるという惹句があり、何度か禁煙を試みた経験や人の話などから、それではあまりに簡単すぎるので、さしあたり3ヶ月を目標とするという数字をはじき出したのだった。


もちろん目標や期待は裏切られるためにあるようなものだ。3ヶ月が6ヶ月になり、次に1ヶ年に変更して、さらに2ヶ年に前方修正。
 そして禁煙27ヶ月を経過した今日現在。
 いまだにぼくは、ガムとか飴玉とか禁煙パイプを手放せない有様だ。のどから手が出るということばがあるが、現在のぼくの症状は言えば、のどから手が出るほど、「けむりが欲しい」と身体の最深部(あるいは脳? あるいは精神?)が泣き叫んでいるようなものである。けむりで肺を満たしてほしいのである。思い切り、誰はばかることなくけむりを吸いこみたい。
 とくに明け方がひどい。心身のどこから発するのかは自分でもよく分からないが、「けむりが欲しい」という信号がもっとも強く発するのが明け方だ。これはたばこをふかしていたときと同じである。喫煙者なら知らぬ人はいないとおもうが、起きぬけの一服くらい何ものにも代えがたいものはない。


 27ヶ月経っても、このような綱渡り的でのたうつような時間を過ごすことになろうとは、まるで予想しなかったことだ。本来(?)ならいまごろは、はればれとしてすずやかな顔をしているはずであった。
 それがなんなんだ、この事態は。
 けれども。
 われながら不思議というほかないが、おれのこれから先の時間は、「禁煙状態」とのたたかいに明け暮れるのではないかという最悪のシナリオしか思い浮かばないが、それでも、なんとなく、「もはや手遅れである」というか「あと戻りできない」というか、そんな宙吊りにされた場所にいるような感覚である。堅く決心しているわけではないが、そうなのだ。
                                  (続く)