座喜味彪好氏の「北朝鮮問題を考える」を読む


 3月26日と27日の両日、沖縄タイムスに座喜味彪好という人の「北朝鮮問題を考える」(1)(2)という文章が載っていた。内容的に特別なことが書かれているわけではないが、ぼくはとても好もしい印象を受けた。座喜味氏の肩書きは「元県副知事」となっている。西銘知事のときの副知事である。
 座喜味氏はこの短い文章を、戦時中の台湾での体験から書きはじめている。
 1944年10月末、台湾人、日本人を合わせて5、6人が農道を歩いていると、グラマン戦闘機の機銃掃射を浴びるという体験をした。そして遠ざかるグラマンの飛行士に「おれとお前の間には何の恨みもないのに」つぶやいた。そのまま進んでいくと台湾人の村があって、大きな屋敷の門に「おにぎりあります。牛乳もあります」と書いた紙が貼られている。お金はいりませんというので理由を聞くと、毎日、台北に牛乳を送っているが、最近は輸送が順調でなく、腐らせるより腹をすかせた人に飲んでもらう方がよいと考えたという答えが返ってきた。
 このような体験を淡々と綴ったあと、座喜味氏はこう続けている。

北朝鮮の核問題や市民拉致の制裁に、食糧不足に苦しむ人々への援助の停止も含まれていた。だが、これは八つ当たりではなかろうか。(改行)北朝鮮問題を考えるとき、自分を一人の北朝鮮人民と置き換えて見ると良い。制裁は解決をますます難しくするだけだと思う」
 あっけないほどありふれた意見が開陳されている。そして事実、何の変哲もない意見にちがいないが、しかし、あなどってはいけない。この変哲のなさは、いわば地獄めぐりをした末の見識であるというのが、この文章を読んでのぼくの覚知である。北朝鮮をめぐる事態の複雑さ困難さ、背理性を座喜味氏が知らぬわけがない、と思う。複雑さ困難さ、背理性といった幾重にも重なる層をかいくぐり媒介した上で、「自分を一人の北朝鮮人民と置き換えて見ると良い」という、ありふれているが、見方によっては驚くほど澄明な事理に突き抜けたたのである。
 まっすぐに北朝鮮の民衆の窮状をそのものとして前景化して、食糧制裁の非を訴える座喜味氏の脳裏には、台湾での体験とともに、北朝鮮の民衆と敗戦後の沖縄の人々の生活体験がオーバーラップしているにちがいないと思わせる文章である。


 強調したいのは、このような精神のあり方は、現在では稀有のことに属するということだ。
 こんなことをいうと人は訝るかも知れないが、「自分を一人の北朝鮮人民と置き換えて見ると良い」というようなクリアカットな精神のあり方は、現在では地を払っていて、めったに見ることのできないものの一つである。なぜ座喜味氏のここに見られるような精神のあり方が稀有のことであるのか、はきだめの鶴のように見えるのか。
 もどかしくもあれば口惜しいことでもあるが、この世界では、ある国の民衆の像が、別の国の民衆の脳裡や胸内に届くことは、困難というより不可能に近い。国家という不可視の壁が人間と人間とを隔てているからである。
 人間は、一個の人間としてならば、どこの国の人間とも繋がることができるが、そこに国家という共同幻想が介在すると、血の通ったものとしての他者像はきれいさっぱりと消失してしまう。そして一個の人間、一個の社会人としてではなく、「国民」というカテゴリーに一括りされる存在が立ち現れる。国家意識が過剰になればなるほどそうである。
 拉致問題が現在のよう形で顕在化して以降の日本と北朝鮮の関係は、その露骨なあらわれということができる。現在ではいく分か沈静化しているとはいえ、新聞もテレビも雑誌もインターネットも、熱に浮かされたような声高な議論を繰り返していたが、ただひとつ、これらの論議に登場することがないのが北朝鮮の民衆の存在である。仮りに登場することがあっても、金正日憎しの感情の前では、人質のごとき障害物としてである。
 座喜味氏が国家という存在を無視しているとは思えない。ただ国家を至上のものとはしていないに違いない、とぼくには思える。
 座喜味氏はこの文章の最後のところで、「私は平和主義者だが、自衛隊の沖縄展開に賛成だし、集団的自衛権の行使についても、条件付きだが賛成である」と、自己の政治的な立場を表明している。この意見は、ぼくの考えとは開きがあるが、そんなことはどうでもよろしい。北朝鮮問題の複雑さ困難性を十分承知の上で、それでもなおかつ、民衆の存在を第一義的とする姿勢・精神にくらべれば、自衛隊の沖縄展開や集団的自衛権の行使に賛成といった政治的な意見の相違など「小さなこと」、トリビアルなことである。
 ついでだから言うが、ぼくは左翼のいう「大衆」も、保守のいう「国益」と同じようにはなから信じていない。左翼のいう大衆なるものがたんなる理念的な記号にすぎず、保守の国益なるものも観念に過ぎないことを、歴史的・経験的に「学習」してきたからだ。それゆえに、起点に民衆の存在を据えているかに見える座喜味氏のスタンスを、精神の絶滅危惧種として、ぼくは珍重したいのである。



 ところで、座喜味氏は援助資金の調達から配分の方法についての提案をおこなって、このように書いている。

「私の具体的提案は、韓日米三国がそれぞれ一日一千万ドル分の物資を援助することである。(改行)物資の引き渡しは同胞の韓国に担ってもらう。北朝鮮内での配給の責任は、北朝鮮、中国、ロシアに取ってもらう。その際の主たるコストは、中ロが分担する。援助物資の容器や袋には、韓日米中ロの国旗を並べて刷る」
「(中略)援助物資の配給の公平さについて懸念する声もある。確かに考慮すべき問題だ。(改行)横流しは戦後の沖縄にもあり、私自身、この問題の担当になって苦労したこともある。しかし、だからといって援助はしない方が良いというのは本末転倒ではないか」

さしあたってこの提案の実現可能性については脇に置いておく。ぼくが興味をひいたのは、唐突に「援助物資の容器や袋には、韓日米中ロの国旗を並べて刷る」という文言を書き付けていることである。文脈からすると不自然としかいいようのない挿入である。
 援助物資の調達、引き渡しの方法、配給の方法、コストの分担といった全過程からすると、「援助国名」の表示といったことは、とるにたりない作業過程である。けれどもぼくは、この断り書きに、座喜味氏の記憶に焼き付いた思われる、戦後沖縄のあるトラブルの痕跡を垣間見る思いである。あくまでも推測にすぎないが、それについて触れる。
 60年代の末頃、学校給食用としてアメリカから贈られてきた援助物資である加工製品の容器やフタに、「アメリカ国民からの贈り物です」と明記した米国務省のマークを表示するよう、米国民政府からの指示が出たことがある。これに対して、沖縄教職員会をはじめとする団体は、沖縄の教育にたいする不当な干渉であると反発して、反対運動を展開した。なかには、アメリカによる沖縄支配を正当化するイデオロギー攻勢であると主張する組織もあった。
 仮りに援助物資が送られたとして、北朝鮮が「援助国名」の表記にクレームをつけるかどうかわからない。また世界各地で戦争や紛争があり、そういった地域や国で援助物資ををめぐって、同様のトラブルがあるのかどうか、ぼくは寡聞にして知らない。
 このことでぼくが言いたいのはこういうことである。おのれの政治的な原理を妥協なく貫こうとするとき、置きを忘られ、棚上げされるのは民衆存在であるということ。先にあげた沖縄の給食用物資をめぐるトラブルでも、そのようなことが起きたのである。政治であれ、宗教であれ、「大衆という外部」を欠いた原理主義は、平然と他者を踏みつぶして恥じることがない。
「天に根をおく者は、地に平和をもたらさない」という警句がある。また「正義は成就されなければならない、たとえ世界が滅びようとも」という警句もある。「自分を一人の北朝鮮人民と置き換えて見ると良い」という言葉は、いかに凡庸にみえようとも、これらの警句の対極にあって、はるかに上等で肉感的である。
 座喜味氏は、横流し問題の担当者であったというから、援助物資をめぐるトラブルの近傍にいたわけだ。したがって立場上、トラブルの経緯をつぶさに目撃したにちがいない。だから、あのような唐突としかいいようのない文言を挿入したのには、内的な理由があったのである。そのように思えてならない。