琉球語の「チム(肝)」について



 沖縄では、こころ(ククル)よりも、意味内容がほぼかさなるチムという言葉が圧倒的に多く使われる。チムとは肝のことである。この言葉は、動物の内臓器官である肝臓を指すのでないかぎり、ほとんどの場合、こころの意味で用いられる。国立国語研究所編の『沖縄語辞典』(大蔵省印刷局)は、このように説明している。



 ① 肝。肝臓。食物としての、豚などの肝臓。② 心。心情。情。kukuru(心)よりもはるかに多く使う。



 ある沖縄方言の研究者によると、沖縄の古歌謡『おもろさうし』には、こころは、「ふなこころ(船・心)」や「きもこころ(肝・心)」などわずかな複合語しかないのに、きも(チム)は44項目もある。チムがこころの意味で、古い時代から多用されていたことがわかる。共通語にも「肝っ玉」とか「肝を冷やす」などという言葉があるが、琉球語の多彩さにくらべると、その比ではない。ためしに稲福盛輝『医学沖縄語辞典』(ロマン書房本店)をのぞいくと、チムのつく語は100以上あるし、『沖縄語辞典』には70近く立項されている(ククル=こころは20に届かない)。
 チムはほかの言葉と結合して、たくさんの複合語や成句がある。ぼくが実際に使ったり聞いたりした(している)チムのつく言葉をあげてみる。



 [チムグリサン]キモ・苦しい。可哀想だ。[チムイチャサン]キモ・痛い。痛々しい。可哀想だ。[チムヂュラサン]チム・美しい。[チムダチュン]チム・抱く。憂い悩むこと。[チムタガーユン] チム・違える。心が合わない。意思が疎通しない。[チムノースン]チム・直す。こころをやわらげる。[チムヤンメー]チム・病い。[チムフガン]チム・不満足。気にくわない。[チムガカイ]チム・掛かり。気がかり。[チムヌ シヌバラン]チムに・忍びない。[チムヌ ネーン]チムが・ない。心がこもっていない。心が冷たい。[チムワサワサー]胸さわぎ。[チムグクル]チム・心。[チムガナサ]チム・愛しい。



 まだいくらでもあげることができるが、およそのイメージがつかめればよいので、この辺で切り上げる。
 すぐに気づかれたことと思うが、これらの言葉のいちじるしい特徴は、情動や心情と分かちがたく結びついていることである。人間のこころの表出を「知」と「情」とに分けて考えると、チムのつく言葉はほとんど「情」とつながっていることがわかる。抽象的で外化された次元にはないということだ。知よりも情、抽象的な層よりも情動が基層にあって、チムはその基層を象徴しているといえる。チムという言葉は、吉本隆明の言語理論のキーワードのひとつである「自己表出」という概念にそっくり包含される。
 もうひとつ指摘したいことは、チムのつく言葉が身体性を濃厚に保存していることである。同情を意味する[チムグリサン]や[チムイチャサン]を例にとると、相手の苦しみや痛みを身体でうけとめ、対象に感応して、その苦しみや痛みを共有していることが読み取れるのである。
 現代では、同情といえば、自分の外にある客体としての対象にたいする感情を意味するが、「チムグリサン」や「チムイチャサン」はあきらかに様相がことなる。チム(こころ)の動きと身体とが相互浸透しているイメージなのである。人間の歴史のある段階までは、こころの動きと身体が不離一体であったことを思わせる。


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 貧しい知見ではあるがぼくが読んだかぎりで、ほとんどの研究者が、チムのこのような態様と多用されている事実から、本土と対比しての沖縄的な特性としている。なかには「チムの文化」と呼ぶ人さえいる。だがぼくは、あてずっぽうにいうのだが、空間的な特性としてではなく、歴史的時間の問題として捉えたほうがよいように思う。「チム」がベースの社会に「こころ」がかぶさった、というようにである。
 チムが多用されている理由について、中本正智は、『おもろさうし』や『混効験集』などの文献を援用して、つぎのように指摘している。



 『おもろさうし』に「こころ」があり、「ふなこゝろ」<953>(舟心・舟をあやつる心づかい)のように用いられる。また「きむ」、「きも」が「きむたか」<1163>(霊力高き)のように用いられる。「こころ」は人間側に制御されている精神力を表し、「きむ」は自然界と直結する霊力をいう。「きむ」の対語「あゆ」「あよ」が「あよがうち」 <31>(心の中)のように用いられる。『混効験集』に「きもちやへ 肝いたさなり 痛腸の心也」、「おきもちやべ 語肝勞の心ならん きもちやべ」「しまちやへ 嶋勞と云ことならん 勞は慰勞と註す」とある。「きもちやさ」は「肝痛さ」で心が痛むところから苦労する、苦しいの意を表す。また「肝はえて 肝うれしきと云心」のような用法もある。15世紀前後にはココロ系とキモ系が用いられていたが、ココロ系は衰微し、それだけキモ系の表現が豊かになってきたのであろうことがうかがわれる。

                  (中本正智『図説琉球語辞典』、金鶏社)


 15世紀前後には、「ココロ系」と「キモ系」が並存していたのであるが、ココロ系が「衰微」するのに反比例してキモ系が豊かになったというのだが、なぜココロ系がキモ系に駆逐(?)されるようになったかについて、ここからは分からない。「キモ系の表現が豊かなってきた」理由を「ココロ系の衰微」に求めるのは、なんだかとても予定調和的な記述の仕方である。中本正智の記述から推察しうるのは、「ココロ系」よりも「キモ系」が古層にあるらしいことである。
 キモ系の表現が豊かになった背景について示唆的なのは、柳田國男の、「カナシ」という言葉について述べた次のような唸りたくなるような洞察である。



 カナシという国語の古代の用法、また現存多くの地方の方言の用例に、少しく注意してみれば判ることであるが、カナシ、カナシムはもと単に感動の最も切なる場合を表す言葉で、必ずしも悲や哀のような不幸な刺激には限らなかったので、ただ人生のカナシミには、不幸にしてそんなものがやや多かっただけである。我々の心持ちまたは物の考え方が進んで来ると、そんな昔のままの概括的な言葉では、個々の場合を言い表し足りないので、次第に単語の内容が狭く限定せられ、従ってその用法が地方的に分化して行ったのである。
  
             「涕泣史談」(「不幸なる芸術」『柳田國男全集9』、ちくま文庫



 チムのつく言葉についても同じことがいえるとおもう。時代がすすむにつれて、「昔のままの概括的な言葉では、個々の場合を言い表し足りないので、次第に単語の内容が狭く限定せられ」、数多くのチムのつく言葉が生み出された。逆にいえば、時代を遡ればさかのぼるほど、「概括的な言葉」で足りたのである。
 別様の言い方をしてもよい。「キモ系の表現が豊かなってきた」のは、時代を降るにしたがって、人々の心性が細分化して、その細分化に対応して語彙が増えた、というに。チム系が支配的な世界にココロ系は入り込めなかった、とぼくは理解したい。



いうまでもなくチム(肝)以外の器官にもそれぞれ名前がついている。肺はフク、心臓はフクマーミ、胃はウフゲー、腸はナカミー、内臓はワタミームンと呼ばれる(『医学沖縄語辞典』。ただし、呼び方は地域によって異なる)。これらは動物(人間を含む)の内臓器官の名称として使われていて、それ以外の意味で使われることはまずない。だが、くり返すが、チムは肝臓の名称であるけれども、同時に人間のこころを意味する言葉でもある。
 なぜチムという言葉がこころを意味するのか。名嘉真三成はこのように述べている。


 なぜ沖縄のチィム(チム=評者)とククルの意味が、国語と違うようになったかは明らかではないが、おそらく、古来の宗教儀礼に豚などの臓物を捧げ神と心を通わす神聖な行為の一般化に、その要因の一端があろう。臓物を代表する肝は「肝向かふ心」のごとく、上代語では枕詞として心を修飾し、心と交わるものであった。その意義特徴を沖縄は具体的臓物に求め、本土方言は抽象的ことばに求めたと考えられる。                                 (名嘉真三成『琉球方言の意味論』(ルック)


 似たような実体論的、外挿法的な解釈をする研究者はほかにもいるが、このような理解は疑わしい。内在性がまるで感じられないのである。おおいに飛躍するが、チムがこころを意味するのは、チムが内臓一般を意味するからである、とぼくは考える。そして内臓がこころを意味するのは、古来、人々がこころの場所は内臓にあると信じていたことの名残である。
               「猫々だより」96号(猫々堂)に掲載の文章を改稿