戦場のルーチンワーク


上原正稔の「パンドラの箱を開ける時−沖縄戦の記録」の第130回(琉球新報6月3日夕刊)には、次のような一節もある。



特に、彼は沖縄人に心底、不審を抱き、スパイ扱いしていたから、ただでさえ軍広報紙になり下がっていた沖縄新報はもはや「新聞」とよべるものではなかった。
それでも沖縄戦の最中の五月二十五日まで毎日「沖縄新報」を発行し続けた。にぜか? 沖縄新報の記者だった仲本政基さんは「なぜって、われわれは新聞を作る以外なかった」と答えている。「なぜ、エベレストに登るのか」と問われた登山家のジョージ・マローニーが「そこに山があるからだ」と答えたことを思い出す。


微妙に違うという気がする。
ジョージ・マローニーのことばは、山に登るという情熱の根拠を、既知のことばに還元すると嘘の説明になるので、それを峻拒して、いはば言語化不能なものに投企して出たことばだとおもう。
一方、仲本政基さんのことばは、戦場という非日常においてもルーチンワークがあるという経験的な事実を告げている。
ルーチン通りに目の前の仕事をこなしただけだと、仲本さんは言ったのである。
「軍広報紙になりさがった」という認識は、事後的なものだ。
人が、ある限定された枠内で個別に動く行動原理を、事後的な観念で裁くことはよくない。
子どもの成長過程を毎日写真に撮っても、その変化はわからない。それが例えば1年後の写真と比較すると、その変化は歴然とする、という話を読んだ記憶がある。
時間的なあるいは空間的な距離をおけば見えるものが、その渦中にあるときは可視化できないということはよくあることだ。
人間は「時代の子ども」であることを逃れることはできない。
もっとも、「時代の子ども」であることに抗うのも人間だけれども。


仲本政基さんとは七十年前後、短い期間ではあるが職場をともにしたことがある。それで思わず反応してしまった。