沖縄ナショナリズムという倒錯

(この文章は、宮古在住の東風平恵典が主宰する雑誌「らら」に載せるために、「すばる」2月号(2007年)の特集「『復帰』三十五年、オキナワの『心熱』」をテーマとして書いたものだが、「らら」の発行が遅れているために、目取真俊に関する部分を独立させ、一部改変して、ここに掲載する)


●  空転する否定感情
 目取真俊は「すばる」2月号掲載の「地を這う声とナショナリズム」で、次のように書いている。


「日本に併合されて実質百年の時間が経っても、私は日本人だ、と言いきることに耐え難い思いがする沖縄人は、私一人ではあるまい。「集団自決」をめぐる裁判に関連して、あたかも援護金ほしさで住民が軍命説をでっち上げたかの文章や、辺野古沿岸への新基地建設をめぐる政府高官の高圧的な言動を見ていると、反ヤマトゥの怒りと嫌悪が自分のなかに溜まっていく。それを排外的なナショナリズムにしてはいけないと思うが、理性で割り切ってすませられるほど簡単なものではない。このような沖縄ナショナリズムや、軍隊は住民を守らない、という沖縄戦の教訓を強調されることが、自由主義史観グループや日本政府には、うとましくてならないのだろう。だが、それを潰そうという動きは、逆に火をつけるだけだ。」


 思わず脱力してしまいそうなベタな文章というほかない。ベタというのは批評性や遠近法を欠いているという意味だ。
 「日本に併合されて実質百年の時間が経っても、私は日本人だ、と言いきることに耐え難い思いがする沖縄人は、私一人ではあるまい」という一節を目にしたときぼくは、「本気か」と、思わず声が出そうになるのを呑み込んだほどである。ここにあるのは、否定感情に囚われ、「外部」を欠いた、イデオロジスト特有の偽感情である、というのがぼくの判断だ。
 ふつうの「沖縄人」は、「私は日本人だ」と意識することなく、「日本人」であることを自明のものとして日々の暮らしを営んでいる。それは「日本人」が「日本人」であることを自明のものとしていることと何ら変わりない。
 人がことさら「私は日本人だ」と揚言したときは、彼ないし彼女は国家という幻想にとり憑かれたことを意味する。つまり「幻想としての人間」として登場しているということだ。「国家の品格」とか「美しい日本」といった言説が象徴するのは、そのような幻想のあり方だ。「反ヤマトゥ」や「沖縄ナショナリズム」や「反復帰論」なるものも、構造的にはそれと同一である。
 目取真俊がここで述べているような主張に、ふつうの人々の生活感情(つまり「外部」)が納得することはないと断言してよい。というよりも、そもそも、目取真俊は一度でもよいから「ふつうの人々」に思いを致し、「ふつうの人々」を自己思想に繰り込んだことがあるのだろうか。イデオロジストが固執するのは、みずからの否定感情であり、この否定感情を強化するために政治的・社会的・歴史的な諸表象が呼び寄せられるが、彼らが一顧だにしないのが人々(大衆、市民、住民、マジョリティ)の存在である。
 否定感情が強ければ強いほど、「義」の観念は先鋭化する。目取真俊をして「日本に併合されて実質百年の時間が経っても、私は日本人だ、と言いきることに耐え難い思いがする沖縄人は、私一人ではあるまい」と言わしめるのは、このような「義」の観念である。観念が先鋭化すると、人々の生活感情から乖離して、病的なゾーンに陥ってしまうこれはその例証のひとつだ。
 「反ヤマトゥ」感情の奔出を、「排外的なナショナリズムにしてはいけない」が「理性で割り切ってすませられるほど簡単なものでない」という言辞もまた、溜め息が出るばかりである。即自的なパッションだけの、典型的な駄々っ子の論理というほかに言いようがない。
 ぼくは、地元紙でよく目取真俊の文章を目にするが、いつも思うのは、とてもナイーブな人だなということだ。「地」がもろに出るのだ。「だが、それを潰そうという動きは、逆に火をつけるだけだ」といった、戦前の左翼のアジビラ(プロレタリア詩にも)にでも出てきそうな、根拠のない強がりというか捨てぜりふめいた言葉などは、「沖縄ナショナリズム」の主張とともに、ナイーブさの格好のあらわれである。
 ナイーブな言説の特徴は、現実や時代と接触することがないということにある。人々の存在を媒介するのであったら「だが、それを潰そうという動きは、逆に火をつけるだけだ」といった自動化した言葉が口をついて出てくるはずはない。「耐え難い思い」とか「軍隊は住民を守らない、という沖縄戦の教訓」も同じ自動化した言葉である。軍隊が守るのは「国家」であって住民でないのは分かりきったことではないか。だからこそ軍隊はないほうがよいのだ。


ナショナリズムという囚われた思考
 ことさら「私は日本人だ」とか「私は沖縄人だ」とは言わないけれども、「日本人」よりも「沖縄人」であることに自己同一性を感じるという「沖縄人」を、ぼくは何人も知っている。自己存在を全面的に「日本人」に解消することのできない残余の部分があり、その残余の部分にこだわりを持つ人々である。
 「日本」や「日本人」にたいする、言葉や習俗の違いや歴史的な経緯から生ずる感覚的な違和感を、きれいさっぱりとは拭い去ることができない「沖縄人」がいるのは、まぎれもない事実だ。「沖縄人のこころは?」と問われて「日本人になろうとしてもなりきれないこころ」という意味のことを、西銘順治沖縄県知事は答えているが、この発言にぼくもいたく共感した覚えがある。明治以降、沖縄の表現者(に限らないが)たちは、大なり小なり、そういう「沖縄人」の微妙な陰影に目を注ぎ、意識や無意識の襞を切実なものとして丁寧になぞって、作品化してきた。
 けれども目取真俊がここで言っているのは、そういう事実のニュートラルな指摘ではない。目取真の主張の眼目は、そのような感性的なレベルの問題ではなく、歴史的な出来事や現在の政治的な事象を呼び寄せ、おのれの理念に適合的に整序することよって、否定感情を煮詰めることにある。
 日本人の自然感性や調和的なメンタリティを、無媒介的に「美しい国」とか「国家の品格」として打ち上げる国家主義的な理念はおぞましいかぎりだが、「沖縄人」の「日本」にたいする感性的な違和感をことさら強調し、理念的な一義性にまで煮詰めて、非和解的な対立として現出させる反復帰論や沖縄ナショナリズムといったカルト的な言説も、気色悪いことおびただしい。
 目取真俊は、引用した文章のすぐ前で、「沖縄の日本への併合(琉球処分)」や「薩摩の琉球侵略」をあげた上で、「沖縄戦や米軍基地の問題をその時々の政治課題としてだけでなく、そのような近世・近代の歴史の流れからとらえかえす必要を感じている」と書いている。
 事象の区分と連関を無視した無茶な論理である。
 「薩摩の琉球侵略」や「琉球処分」は歴史的な事象である。そして「基地」は現実の政治的な事象である。歴史的な出来事を現在の政治課題である基地問題とストレートにつなげるのは論理の飛躍あるいは短絡である。次元の異なる事象を同一の系で論じるためには、中間的な層を幾重にも媒介しなければただちに虚偽に転化する。
 理屈としてのみいえば、基地問題の「解決」ということはありうるけれども、「薩摩の琉球侵略」や「琉球処分」のような歴史的事実が消えることはないのである。それに歴史的事実にこだわるのであれば、ひとり沖縄史のみならず、世界史はほとんどすべて血塗られているのである。何がいいたいのかというと、「沖縄戦や米軍基地の問題をその時々の政治課題として」明確に定位して、歴史的事実とは分離しなければならないということだ。まさか目取真俊は、日本政府に、過去の振る舞いにたいする「謝罪」とか「反省」を要求したいのではあるまい。
 沖縄の知識人たちはなぜ次元の異なる事象を一緒くたにしようとするのか。つまりみそとくそを一緒にするのか。意地の悪い見方をすると、基地問題が解決してほしくないからである。沖縄の党派知識人にとって、「反ヤマトゥ」と「反基地」はアイデンティティーのよりどころであり、それが理念としての「沖縄ナショナリズム」の実質をなしている。だからわざわざ糸をもつれさせているとしか思えない。
 ほんとうなら、「反ヤマトゥ」や「沖縄ナショナリズム」のみならず、ナショナリズムそのものを相対化し無化しなければならないのに、逆に対立の構図を際立たせ再生産しているのがこれら党派知識人たちのやりきれないところだ。
 思想というのは、特殊性は特殊性として認知しながら、同時に、特殊性を超えて人間全体につながる普遍性を取り出すのでないかぎり、未来性はない。未来への回路を閉ざしているという点で、目取真俊(たち)と小林よしのりは選ぶところがないのである。