*[コラム]  七七忌の法要について

*[コラム]  七七忌の法要について


友人に教示されて、4、5日前の新聞の死亡広告を見ると、たしかに普通とは異なる形式のものがあった。
この友人とはつい最近、新しい法要の仕方がうまれているらしいことを話題にしたばかりである。
広告自体は、死亡したことの報告や告別式の日時・場所の告知と、型どおりのものだが、「尚」として、次のことが書かれていて、それが目新しかった。
七七忌の法要は初七日○月○日(曜日)に四十九日と併せて近親者のみ執り行いますのでご了承下さい」
シンジュウクニチ(四十九日)を含む七七忌の法要を、すべてハチナンカ(初七日)で済ませると言うのである。しかも近親者のみで。ここで言われている「近親者」とは、親子兄弟くらいの範囲を指しているのであろう。
このような法要の仕方は増えているのだろうか。
増えているとしてどのていどか。
そしてこのような傾向はいつ頃からはじまったのか。


じつは、去年、親戚のおじさんが亡くなり、一年忌もしない今年の8月はじめに、その奥さんが亡くなったのだが、2回とも、七七忌の法要をハチナンカ(初七日)で済ませたのである。
通夜の席で、その話を聞いたとき、はじめて聞く話だったので、「そういうやり方もあるのか」と驚いたのだが、時間が経つにつれ、「それもアリだな」と心から納得した。
七七忌のこのような簡略化に違和感を覚える人いるであろうことは予想できることだが、それを歓迎する人も多いのではないか。
葬儀にまつわる一連の仕来りほど心労と煩わしさをともなうものはない。
友人がこのような法要の仕方に関心をしめしたのも、そのせいだと思う。


この夏は立て続けに親しい人たちが亡くなった。
7月に同郷の先輩が亡くなり、同じ月に近所の若い主婦が亡くなった。8月には叔父が急逝し、そして親戚のおばさんの死。
葬式の段取りについての話し合いに加わった場合もあれば、話し合いの場に居合わせただけのときもある。
いずれの場合も遺族は、仕来りを当然のこととして受け入れており、それはそれで見事としかいいようのないものであったが、大変な仕事だなというのがぼくの正直な感想である。
先日のの昼過ぎに、七七忌の法要で叔父の家に行った。
遺族は仏壇のある部屋で座布団を枕に寝そべっていて、
ぼくの顔を見るとはじかれたように起き出し、線香を立てたりしたが、一様にぐったりした様子であった。


七七忌の簡略化にぼくはほっとするものを覚る。
極端にいえば福音のようにすら感じる。
みもふたもない生活合理主義的な言い方はしたくないが、そうなのである。