*[メモ][孫] 黄金週間の黄金の3日間

*[メモ][孫] 黄金週間の黄金の3日間


 ゴールデンウェークの5月3日、4日、5日の3日間、孫たちととぼくたち夫婦で、平安座島に行った。まことによろしき3日間でした。以下ご報告まで。


── 初日、平安座島海中道路は車で混雑するのではないかと危惧して、行く前に、会社の具志川出身のスタッフに聞いたら、「だいじょうぶだはず」という返事。じっさい、道路は拡張され、視界はひろびろとして、まことに快適なドライブコースであった。海の駅は人出でにぎわい、道路の脇には潮干狩りの人の車が100メートル以上にわたって路上駐車しているが、ぜんぜん邪魔にならない。すいすい。
── 初日、浜比嘉島。ホテルのチェックインには早かったので、大橋をわたって浜比嘉ビーチへ。下の二人の孫は水着にきがえて海へ。上の孫ははじめはズボンをまくって妹たちと遊んでいたが、我慢できなくなったのか「○○(自分の名前)も泳ぎたくなった」と言い出したので、車に戻って、そのなかで水着にきがえる。浜比嘉ビーチは7、80メートルくらい先に、石を盛り上げた半円形の堤防があるので、クラゲの心配や波にさらわれるおそれはないが、少し動くと細かい砂であたりがにごるのが難点だ。夜、水着を洗っていた妻が、いくら洗っても砂が落ちないとこぼしていた。
── 初日、平安座島。泊まったホテルに、南部の少年野球チームが合宿していた。ユニホーム姿と普段着の大人5、6名に少年30人くらい。夕食後、リーダーらしき少年2人がコーチコーチらしき男の説教をくらっていた。大人は全員テーブル席の椅子にすわり、少年は直立不動。「統制を乱すようなやつはこのチームには要らない。荷物をまとめていますぐ帰れ」「お前たち強くなりたくないのか、くやしくないのか」「なんだ、あのだらけた態度は」。となりに座っている小学校6年の孫に、小声で、「どう思う」と聞くと、「べつに、フツーじゃん。でも、こんなところで言わなくってもね」という返事が返ってきた。
── 2日目、平安座島伊計島に行く途中、車から見た平安座の石油基地が見違えるほどきれいになっていた。以前来たときには、むき出しの石油タンクや鉄条網が張りめぐらされていて、この上なく殺風景であったが、いまでは周囲は植林され、土手には芝生がしきつめられている。環境が整備されると、空間はひろがり空は近づくようだ。
── 2日目、伊計ビーチ。孫たちはさっそく水着に着替えて海へ。ぼくと妻はテントのなかで、孫たちの動きを目で追う。そしてあることに気づいて、愕然としたというか脱力したというか。ぼくたち夫婦の所作は、典型的な、老人の行動パターンである。二、三年前までは一緒に海に入り、体を動かし、泳ぎを教えたのだが、いまや孫たちの動きを見守り、ながめるのみ。完全に圏外の人。
── 2日目、伊計ビーチ。いまごろこんなことをいうと笑われそうだが、こんなに種々様々なマリンスポーツやレンタル用品があるのには、驚いた。それもそのはず、これまで入場料を払って海水浴場・海のレジャー施設に入った記憶がない。車で国道58号を走らせているときなどに、海の上を疾駆する色あざやかなヨットやバイク様のものを何度も見ているが、あれはたんなる風景。海のレジャー施設にあるのは、刺激と誘惑にみちたスポーツ用具。おれにできるスポーツはあのうちのどれだろうかと、しばらくマジに考えた。
── 2日目、平安座島。自分の行動範囲の狭さを実感。地域や地域の風景は日々刻々変化している。変わらないのは青空と海。
── 3日目、平安座島。たまたまつけたテレビで、倉本聰へのインタビューと活動を追う番組を放映していた。途中から見たことやケイタイに中断されるなどしたので、正確さは保証できないが、あらましこのような番組の内容であった。廃業したゴルフ場の後利用の相談を受けた倉本は、即座に元の森にかえすべきだと考え、みずから富良野自然塾を立ち上げて活動を開始する。ゴルフ場のすべての芝をはがし、種を採集し、苗を育て、膨大な数の木を植えという遠大なプロジェクトが語られる。早いところでは植林がすんだ場所もあり、木が5、60センチほどに育った様子をテレビは映していた。
 ところで計画をすすめているうちに思いがけないことにでくわす。人の手を借りずに木が自然に生えている一角があった。それも何十本も。長年にわたって農薬漬けにされ瀕死の状態にあるゴルフ場跡の土壌に、種子が発芽し、地表に顔を出し、成長しているのである。「実生」というらしい。森は森で勝手に自分の力で元の森に戻ろうとしている。プロジェクトチームにとって、これは計算外のことで、森が元の森に戻るのは予想より早くなるのではないかということであった。
 旅先でたまに、いいテレビ番組を見ることがある。
── 3日目、那覇。よく覗いている学者さんのブログに「生産性のないGWの過ごし方をした」という反省の弁があった。ぼくは潮風に吹かれ、無為に身をまかせ、孫を堪能した。非生産的というとびっきりの贅沢。