子どもの「山あり谷あり」の時間

[孫] 子どもの「山あり谷あり」の時間


週刊朝日」4月13日号に、北野武『全思考』の芹沢俊介による書評が載っていた。一読して、次の箇所が目にとまった。


「いまの子どもの不幸は、子どもの固有の時間が教育に奪われてしまっていることだ。具体的に言えば、遊ぶということへの没頭の欠如。群遊びの中で子どもは遠慮会釈のないがき仲間にもまれながら、遊びを工夫し、自分の向き不向き、限界、群れでの居方、存在理由といったものを体で知っていく。親に教えられるまでもなく」


 ここのところを読んで、数年前に目撃したある光景がよみがえった。それについて書く。
 上の孫が4歳、下の孫が2歳のときのことである。小さな集まりに二人の孫を連れて出席したのだが、知人も子ども連れで参加していた。4歳の孫と知人の子は何回か一緒に遊んだことがある。孫の姿を見つけるとその子が足早にやってきて、いきなり「○○(孫の名前)ちゃん、いくつ?」と聞いたのだった。
 孫が「4歳」と答えると、その子は勝ったといわんばかりに「□□(自分の名前)は5歳」と告げた。この年頃の子どもには、1歳の違いがよほど誇らしく優越なことなのであろう。さらにたたみかけて「何月生まれ?」と質問する。上の孫は答えられないらしく、「えーっと、えーっと」とつぶやくばかり。
 その間、かたわらで二人のやりとりを聞いていた下の孫は、一心に、二本の指を立てて2歳であることを告げようとするが、それがなかなかうまくゆかない。
 ようやく二本の指が立ったときには、すでに姉たちは場所を移動して、窓際で、肩を寄せてひそひそ話をしている。
 下の孫もいそいで窓際にいき、二人と同じ姿勢をとって、かまってほしいような視線を向けるのだが、姉たちは、妹のことなどまるで眼中にないらしく、自分たちの会話に没入している。妹を邪険にしているわけではないが、さりとていかなる顧慮をはらうでもなく、二人だけの言葉を交わしている。
 やがて、なにか相談がついたのだろうか、いきなり立ち上がって、広間の方へかけだしたので、妹も取り残されまいとあとを追いかけていった。


 たったこれだけの、数分間の出来事だが、この光景をぼくが鮮明に記憶しているのは、二歳の孫の「懸命」さが印象に残ったからである。それと同時にこの光景に既視感があったからである。孫の心の世界を窺い知ることはできないが、たぶん「山あり谷あり」ではなかったろうか。自分の存在を告げ知らせ、姉たちの世界に割り込み、遅れをとるまいという一途さであとを追っかけ、しかもそれを「ひとり」でやりとげなければばならない。二歳の孫はそういう後先のわからない渦のなかにいたのだとおもう。


 先の芹沢俊介の言葉、「仲間にもまれながら、遊びを工夫し、自分の向き不向き、限界、群れでの居方、存在理由といったものを体で知っていく」も、同じ事態を指している。ここには子どもの原型的な存在の仕方がある、とおもう。ぼくが孫のエピソードを記したのは、孫自慢したいからではなく、子どもの「懸命」さは普遍的なものであると言いたいからだ。だから、ぼくが既視感におそわれたのも理由のあることだ。おとなもかっては子どもだったのだから、その身体に、子どもの体験が刻印されていないはずがない。


 「子どもの固有の時間」とは、ひとりで体で生きる時間である。誰かが代わることもできないし、マニュアルがあるわけでもない。だから、つまずき、転び、傷を負う。あるいは達成感や矜持や喜びを手にする。子どもが生きるのは峨々たる連山のような時間であり空間である。けれども、このような原型的な時間を奪われてしまっているのが、いまの子どもたちである。つまり「一寸先の闇」を奪われているのだ。芹沢俊介が言うように、このような事態をぼくも「戦後最大の不幸」だとおもう。


 教育産業のターゲットはますます低年齢化し、家族も早期教育に血道をあげている。学校価値は社会のすみずみ、家族のすみずみ、個人の身体のすみずみまで浸透し、「外部」は存在しないかのごとくである。これを「不幸」と認知すること、これがもっとも大事なことだ。