援助交際の東京と沖縄のちがい


 圓田浩二の『援交少女とロリコン男──ロリコン化する日本社会』(洋泉社新書、2006年)に、次のような記述がある。


「またマイによると、彼女が援助交際を行う際に、自分が中学生や女子高生であると明かしたことはなく、一九歳や二〇歳の『女子大生』と名乗っているという。これは沖縄で取材したほかの少女も同様で、学童である少女たちがそのことを積極的には利用しないというこの点こそが、沖縄の援助交際の大きな特徴だといえるだろう。
 マイによれば、沖縄の援助交際男性は女子高生に対してとりたてて興味や関心がないのだというが、沖縄は東京のような個人の匿名性が高い地域と比べれば、まだ近隣関係や地域的共同体が残っており、そのため児童売春で検挙されればすぐに氏名や職業が県内に知れ渡る可能性が高く、援助交際男性もそのことを強く恐れている傾向があるためではないかと考えられる。」(61頁)
「また『女子高生』がブランドになるかどうかに違いがある。先に見てきたように、沖縄では援助交際を行う少女たちが自ら『女子高生』であることを隠そうとしているが、東京では『女子高生』であることが商品価値を高めると考えられている。
 実際、チイ(東京の援助交際少女の呼称)に『高校生限定の人ってどれくらいいたの?』と訊くと、『はっきりはわかんないけど、でもやっぱり高校生がいいのかな。高校生で(メッセージを)だすと、かなり(返事が)返ってきますね。最近は中学生がいいなんて言う人もいるようですけど』とのことだった。援助交際男性の嗜好が、高校生どころか、さらに低年齢化しているような状況である。」(83頁)


 援助交際とかロリコンなどというと、はるかむかしの話題のようだが、ここに指摘されていることは、東京と比較しての沖縄社会の特徴をかなりなていど浮彫にしているとおもうので、メモ的にとりあげる。
 援助交際において、沖縄では、「女子高生」であることはブランドにならないという著者の指摘を、ぼくは、「さもありなん」とすんなり納得できた。
 ここで指摘されていることは、性風俗現象にかぎらず、沖縄のさまざまな社会現象や生活意識とも通底するものがあると、ぼくはおもう。
 けれども、その理由として著者があげている「近隣関係や地域的共同体」の規制力という理解の仕方には対しては、「ほんまかいな」、という気がする。論理的にスジが通っているようでいて、かえってそっぽを向いた説明の仕方になっている。
 沖縄の援助交際男性にとって女子高生がブランドにならないのは、地域共同体の規制力や検挙された場合のリスク、個人の匿名性が高い東京とくらべて沖縄は実名性が高いという事情とは関係なく、端的に「女子高生に対してとりたてて興味や関心がない」からではないか、というのがぼくの理解だ。
 「女子高生に対してとりたてて興味や関心がない」沖縄の援助交際男性の欲望のありようは、沖縄社会の古典性(?)を反映している。女子高生であるということが商品価値にならないのは、根拠があるのであって、それは土地柄の固有性というのではなく、地域社会(沖縄社会)の成熟の度合いを表しているのではないか。
 著者は、東京では「援助交際男性の嗜好が、高校生どころか、さらに低年齢化しているような状況である」と述べているが、それとは対照的といえる沖縄の援助交際男性の嗜好は、沖縄社会がどのような段階にあるかを表している。
 図式的であることを承知でいうのだが、社会が高度化すると性の領域は拡大し、多様化する。もちろんいつの時代でも特異な性的嗜好をもった人間は存在するけれども、しかしまた社会の高度化が呼び寄せる性的嗜好もある。性的な対象の低年齢化もそのひとつだ。
 性的嗜好の低年齢化が意味するのは何か。芹沢俊介が「高齢化社会の犯罪」(『<宮崎勤>を探して』、雲母書房、2006年)で述べていることは、とても示唆的である。


「このような美の低年齢化の傾向は、非生産的な美を、美の新たな普遍性(商品)として押し立てようとする消費社会の無意識の志向性の必然的な帰結とみなすことができる。つまり幼女に美を感じることが、少しも大人になれない、成熟しない男たちの特権ではないということだ。このことは、幼女の美を愛でることが異常でも倒錯でもない、ということを意味している」(24頁)
「このような性的欲望の対象の低年齢化の傾向について、ひとつふたつ重要なことを指摘できる。第一は、欲望の対象としてのこれらの性が非生産的な性であり、非生産的な性が作り出すエロスが、浪費の対象として普遍的な価値を帯びているということである。もっと言ってしまえば、少女や幼女の美やエロスは、ただ浪費されるためにのみ開発されたそれである。非生産的な性と対照的なそれは、生産的な性である。これは生殖や大地と関連させられた豊饒性のシンボルとしての性であり、豊満な動物的な姿態が表出する美ないしエロスである。」(29頁)