小さな差異に見出す「幸せ」


 ご多分にもれず、子どものころの主食はイモ(芋)であった。学校に持っていく弁当もイモであった。そのことに格別の不満はなかった。
 イモにもいろいろな品種があった。記憶にある品種名をぼくの郷里の方言名であげると、「イナヨー」、「スーヤムン(白いも)」、「ヒャクゴウ(百号)」、「タイワンウム(台湾芋)」、「ファナウチ」などがある。
 収穫量や色や形はもちろんだが、味にもそれぞれ違いがあった。また、イモは何日か陰干ししておくと、萎えて甘みを増すが、どの品種が甘みをますかということを誰もがしっかりと知っていた。


 料理としては、煮たイモを練りつぶしたウムニーと、サイコロ状に切ったイモを米のご飯に混ぜ合わせた炊き込みご飯しかおぼえていない。もっともこの炊き込みご飯が食べられるようになったのは、戦後もかなり経ってからのような気がする。
 当時は毎日の食事の献立に悩むということはなかったといってよい。なにしろ材料は限られており、選択肢などというのはないも同然であったのだから。

 
もうひとつ強調しておきたいことは、今ではイモといえば一律の「イモの味」しか想定できないが、当時の人々は、品種ごとの味の微細な違いを、まちがいなく見分けていた。
 イモと他の、たとえば米のご飯との比較をすることはもちろんあったが、よほどのことがない限り毎日がイモ食であったから、品種による味の違いに敏感にならざるをえず、そこに小さな「幸せ」を見出していた。
(「WA}44号)